幼少期に愛情が足りないと自己肯定感は低くなるのか

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幼少期の愛情不足はどのような影響があるのか

UnsplashMI PHAMが撮影した写真

一般的に影響があると言われているのは、情緒面・対人関係・行動面・学習面・ストレス耐性と言われています。

情緒面不安を抱く子が多くなる傾向があります。また、自己肯定感が低く、他人と関係を築くことが苦手に感じたりします。
対人関係他人と信頼関係を築くことが難しく感じ、友人関係や恋愛関係で、依存してしまったり、逆に敢えて距離をとってしまう傾向があります。
行動面自分に注目して欲しくて、過剰行動や反抗的な行動をとることがあります。学校での授業放棄であったり、家庭内での暴言・暴力につながることも。
学習面成績が低下したり、集中力やモチベーションが低下することもあります。学習意欲に影響を生じることも。
ストレス耐性ストレスに対する耐性が低くなる傾向があります。困難な状況に直面した時に対処する力が育まれにくいです。

母子家庭で育ち、幼少期は祖父母に育てられた私

私は産まれて早い段階で父親を病気で亡くしており、母は病気がちで、母方の祖父母の家で小学校中学年まで育ちました。小さい頃の記憶はとても曖昧ですが、母に会えるのは土日祝がメインで、一緒にバスで出かけたり、母の家に泊まるのが楽しみでした。

母に甘えたくても、母は常にそばに居る訳ではなく、祖父母は昔の人なので厳しめでした。母を困らせてはいけない。嫌われてはいけない。祖父母に迷惑をかけてはいけない。と、子供ながらにとても敏感で気をつけるようにしていました。他の友達は、お休みの日に遠出で遊園地に行ったり、旅行に行ったり、外食を楽しんでいました。母は免許がなく、お出かけはバスか電車で、遠出や旅行の記憶は全くありません。唯一、祖父が車を運転できたので、祖父の故郷に帰省、県内の施設や、お寺、天然温泉に日帰りで行った記憶があるくらいです。

愛情は感じていたけれど寂しかった

一人っ子で周りは大人ばかりだったので、俗に言う「聞き分けのいい子」だったと思います。母親を怒らせてしまった時、『産まなきゃ良かった』と言われたことに対して『私はお母さんの子に生まれて良かったと思ってるよ』と即座に返すことができたり、大人の様子を伺いながら、言葉を選んで話していました。本当は、母と色んな所に遊びに行きたかったし、一緒に服を買いに行ったりしたかった。でも、それをするのは金銭的にも、環境的にもできなくて、『したい』と言うことをずっと我慢していました。甘えても、それができるのは土日だけで、平日になれば祖父母との生活、という現実に引き戻されてしまう。

『ウチは他の家とは違うんだ』と言うことを、小さいころから自分に言い聞かせていたというか、物心付いた頃には、そう言うものだと諦めていました。でも、本当は母ともっと一緒に居たかったし、側に居て欲しかったのだと思います。

自己肯定感はどうなったか

UnsplashSusan Wilkinsonが撮影した写真

小学校高学年から中学校時代は、自分に自信が持てずにいました。寂しい思いが根底にあったのか、仲の良い友達が他の子と仲良くしているのを見ると腹が立ったり、冷たい態度を取ってしまったり、独占欲が強い傾向がありました。多くは無いですが、自分に注目が集まる事もありました。自信がないと思う反面、「こんな私でも周りから見てもらえるんだ!」と喜びを感じることもありました。

高校時代から10代後半にかけては、周りとの格差に愕然とすることが多かったです。周りが当たり前のようにしていることが、私にとっては当たり前ではない。求めれば求める程、その格差を嫌でも思い知らされるので、「何をしても無駄だ」と自己完結することで自分を守っていました。この頃から「私は他の家の子とは違うんだから、幸せにはなれないんだ」と思うようになり、同世代の子に敵対心を抱くようになりました。何を言っても、私の苦しい気持ちなんて誰にも理解されないし、自分が劣っていることを知られたくなくて、理解されようともしませんでした。同時に、親に対しての怒りや反抗も強く出てきて、暴力こそはないものの、よく暴言を吐いていました。知人の家の泊めてもらい、自宅に戻らないことも多々ありました。

社会人になってからも、より一層、周りとの格差に悩み続けます。何をしても追いつかないという劣等感が常にありました。認めてもらいたくて、一生懸命頑張って一定の評価を貰えても『本心ではそう思ってないんだろうな』と、素直に受け止められませんでした。恋人に対しても、自分を本当に大切に思っているのか試すような態度を取ったり、愛されることに執着していたと思います。

ありのままの自分でいいんだと思えたのはなぜか

自分が歳を重ねて考えが丸くなったのももちろんですが、結局は人が自分の凝り固まった気持ちを解いてくれました

傲慢よりは謙遜する方が良いと思うけど、謙遜しすぎるのもまた良くない。評価されれば『ありがとう』と喜んでいいし、愛されればそれを素直に受け取ればいい。仕事の代わりは必ず居るけど、自分の代わりは誰も居ない。頑張ってる姿は絶対に誰かが見ていて、どこかで必ず実を結ぶ日が来る。等など、ストレートに伝えてくれる人が居ました。10代では響かなかった言葉が20代後半になると沁みることってありますよね。要はタイミングです。人に恵まれました。

子供の存在が自分を変えた

Image by Tú Nguyễn from Pixabay

凝り固まって、歪んだ考えだった自分。子供は正直言って苦手でした。ただ、歳を重ねるごとに、苦手という意識から、ただ子供との接し方が分からないだけなんだ、と理解出来てからは、触れ合うことへの抵抗は無くなりました。自分は幸せになれないんだと、10数年思い続けてきたからか、結婚後なかなか子供にも恵まれませんでした。ようやく授かってからも、最初の1年は右も左も分からず、幸せを噛み締めると言うよりも、今日も一日終わった…とこなすだけの日々。それでも、夜寝る時にスヤスヤと寝息を立てている姿を見ると、『幸せだな』と素直に思えるのです。

周りからの助言であったり、妊娠・出産を経て、【親が居る、不安なく進学できる、帰る家がある、家族がいる】、これらは全て当たり前ではなく、有り難い(有ることが難しい)事なんだと、改めて気付けました。誰にでも幸せになれるチャンスはあって、幸せの形はどんな些細なことでもいいんだと思えたことで、だいぶ心は軽くなりました。10代の自分に声をかけてあげられるとしたら『大丈夫!絶対に幸せになれるよ!』と言って抱きしめてあげたいです。

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