高校は奨学金の出る学校を卒業
中学3年生の時、母から『高校は行かせてあげられない』と言われて絶望。でも高校は卒業しておかないと将来仕事に就けない!と思ったので、担任の先生に即相談しました。先生からの提案は、奨学金を貰える私立高校の単願一択。中学の成績は特別良いものでは無かったけれど、なんとかぎりぎりクリアできそうな所を数校チョイスしてもらいました。その中でも、通学が比較的しやすい高校に決定。自分の行きたい高校とは、校風も何もかもがかけ離れていましたが、高校3年間よりもその先の人生を選びました。THE進学コースだったので、3年間ほぼ勉強、勉強、勉強。今思い返せば、それはそれで青春で楽しかったなと思いますが、当時は校則も厳しく、常に授業ばかり。模試代や自分自身の為に、こっそりアルバイトはしていましたが、思い描いた高校生活とはかけ離れていて苦痛でした。
進学コースに通っていたので、当然大学受験しました。家庭環境上、大学進学はできないと明確でしたが、奨学金を借りれば何とかなるかも…なんて淡い期待を抱きながら受験勉強をしていました。他コースに通っていた人の中では、もちろん就職を選ぶ人も何人か居ました。3年生の夏頃には就職活動もスタートしていたと思います。私はセオリー通り、3年生の1月から受験シーズンに入り、私立大学3校に合格しました。
当然ですが、私立大学に通えるはずもありません。母から、「高校を卒業したら、家にお金を入れて欲しい」と言われたのです。児童扶養手当がなくなり、生活が厳しくなるので仕方がないと。奨学金を借りて大学に行き、勉強をしながらアルバイトをして、家に一定のお金を入れる。どう考えても難しいと感じて、進学を諦めました。
就職活動がどんなものか分からない。とりあえずフリーター。
フリーターになる決断をしましたが、夢はありました。働きながらお金を貯めて専門学校に行き、動物関連の職業に就職する、という夢です。専門学校は2年間。学費はトータルで250万~300万弱だったと思います。無知な私は、1~2年あれば出来る!と現実を知りませんでした。
車の免許も持っていないし、住んでいる地域は田舎。バスと電車を乗り継いで、大きな都市へ行き、取り合えず飲食店でアルバイトをしました。当時は交通費なしのアルバイトも多々あり、交通費と携帯代・家に入れるお金を差し引くと、手元に残るのはわずか。1万円残れば良い方でした。就職活動の仕方も分からないし、自分に何ができるのかも分からない。そもそも高卒。商業科で学んだ訳でもないので、どんな企業が自分を雇ってくれるのかさえも知らない。初めて、高校時代の就職活動が有意義で、学校という場所は生徒を守ってくれていたんだと気が付きました。
何度か飲食店を転々とし、当時お付き合いしていた彼の影響で、昼は飲食店、夜はキャバクラという生活が始まります。若いながらに、キャバクラ1本で働いてしまうのは、昼職をするのが馬鹿らしくなるから避けた方が良いと思ったからです。おかげで、自分の為に使えるお金は少しだけ増えました。夜職を真剣に頑張っている人ももちろん居ますが、やはり決して簡単なものでは無いし、本来なら出会うことの無いような誘惑もあるので、安易な気持ちで踏み込むべきでは無いかな、と感じます。でも、当時の私は、キャバクラの給料にとても助けられました。一部分だけですが、夜の世界を見ることができたのも良い社会勉強になりました。
車の免許を取得し、行動範囲を広げることできた
転機は車の免許を取得したことです。叔父が免許取得の費用を援助してくれたおかげで、不安なく自動車学校に通うことができて、無事に免許を取得することができました。今までは、公共交通機関を使わないと仕事に行けなかったのが、地元で仕事をするという選択肢が増えました。アルバイトではあるものの、飲食店勤務の経験を生かして、某ショッピングセンターの飲食テナントで正社員として勤務することができたのです。初めて手にする健康保険証は、大人になった気がしてとても嬉しかったことを覚えています。
同時に、専門学校に行く夢は諦めることにしました。希望する職種の給与が決して高くない事、何とか正社員の仕事に就けたことが大きな理由です。悔しさは残りましたが、思い通りにいかない事もあるんだと自分に言い聞かせました。
初めて派遣会社を通して事務職に就く
飲食店ではシフト管理や、発注、簡単な電話対応もありました。事務的な要素が少し出てきたこと。世間が休日の時に、飲食店は稼ぎ時で、なかなか周りと休みが合わなかった事など、だんだんと事務職に対しての憧れが出てきました。
そんな時に、見つけたのが地元で募集していた、自動車販売系の事務職です。当時、お付き合いしていた人が車が大好きで、自分自身は車に詳しいわけではないけれど抵抗がなかった、と言うのが一番のきっかけです。もちろん、知らない言葉や仕組みは沢山あって覚えることに必死でしたが、周りが良い人ばかりで助けられました。
派遣社員という働き方は初めてでしたが、接客経験があることを評価されて、事務職未経験でもすぐに採用してもらえ、派遣社員ではあるけれど、比較的安定した収入を得ることができました。
派遣会社をフル利用しステップアップする
初めての派遣会社を通しての事務職。接客もあった為、楽しかったのですが慣れると単調な日々ではありました。そんな時、学んだ分野を生かせる仕事が大きな都市で募集していることを見つけました。時給も地元と都市部だと大きな差。ダメ元で応募してみると、学んだ仕事内容の一部がフル活用できそうで、派遣会社も派遣先も二つ返事でOK。駅付近の中小企業で働けることになりました。今までよりもパソコン作業も多いし、電話対応も倍以上。顧客に対して、個別対応が必要なケースも多々あり、慣れるまではかなり大変でしたが、臨機応変に対応する力など養うきっかけになりました。
転職先では3年ほど勤務。近くのフロアで保険関連の業務をしているチームがあり、興味を抱くようになりました。難しそう、大変そう、という印象でしたが、知識が増えそうでいつかチャレンジしてみたいなぁと思っていたところ、某企業の団体自動車保険の対応をする仕事が、同じエリアで募集されていることを知ります。入れ替わりの激しい職種で、派遣社員が半数を占めるような環境でしたが、かなり教育に力を入れており、座学もしっかり時間をかけてくれるとのことで、思い切って踏み込んでみることにしました。保険は改訂が多く、覚えることばかり。扱う件数もかなりの数。複雑案件も多く、文字通り頭から煙が出るような日々でした。ですが、基礎的なところから教えてもらったこと、沢山のケースに対応することで自分の知識・経験として積み上げをすることができました。
そんな中、都市ではなく地元の主要エリアで勤務出来たらだいぶ楽なのになぁ、という気持ちが出てくるようになりました。この頃、プライベートでは結婚をしたタイミングで、仕事と家事の両立ができるか不安だったというのもあります。タイミングよく、某保険会社の事務が募集されており、提携する子会社の派遣会社を通して勤務できる事に安心感を覚え転職。代理店では経験することの無いようなお仕事もあり、顧客→代理店→保険会社のなんとなくの流れを知ることができました。
こうして、フリーターだった私は、派遣会社を通して一つずつステップアップして経験を積むことに成功しました。
現在は事務パート
結婚後、しばらくして不妊治療をすることになり、やむを得ず、短時間勤務できる仕事や短期派遣のお仕事に変わりました。その期間中に資格取得にも力を入れました。治療のおかげで子供を授かることができ、出産を機に仕事は退職。子供が1歳になるタイミングで保育園に就職活動中として申請。パートとしてお仕事を探すことになりました。小さな子供がいる中での就職活動はハードルが高いものでしたが、保険関連のお仕事が運よく見つかり、これまでの経験とスキルを評価していただき、無事に採用。今までの経験がフルで生かされています。現段階ではまだ難しいですが、ありがたいことに短時間正社員の提案をしてもらっています。
同年代の大卒には、勤める企業も収入も及ばないですが、フリーターで将来が不安だった自分が、今の状況を見たら少しは安心してくれるかな?なんて思いながら、仕事に家事・育児に奮闘している毎日です。
ちなみに取得した資格は、FP3級、簿記3級、簿記2級です。簿記2級は一度落ちましたが、二度目で合格できました。勉強方法は、本屋さんによくあるテキストのみ。簿記2級時は、苦手箇所のみYouTubeを視聴していました。今は色んなツールがあるので、自分に合ったものを探して利用するのも有効です。
コメント